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【Colorful Interview】山川豊 日本クラウン移籍第一弾! 新曲「人生苦労坂」とともにガッツポーズで再出発

日本クラウンに移籍した山川豊が、7月5日に移籍第一弾シングル「人生苦労坂」を発売した。大先輩の原譲二こと北島三郎が、山川のために書き下ろした人生演歌。都会的な雰囲気を持つ山川にはなかった曲調だが、山川自身の歩んできた道とも重なる作品である。カップリング曲の「ふるさと港町」は自身が作曲を手がけており、故郷の海に対する思いを歌った温もりある一曲。
デビューから42年目。事務所からの独立がコロナ禍に重なるなど大変な時期も経てきた山川に、新曲への思い、自身の人生について話を聞いた。

 

北島三郎書き下ろしの新曲は「すごく新鮮だった」

日本クラウンに移籍され、第一弾シングル「人生苦労坂」が発売になりました。おめでとうございます!

山川 ありがとうございます。2年前、デビュー40周年を機に独立させてもらったのがちょうどコロナ禍で、僕だけじゃなく、エンタメ業界含めた世界中が大変な状況でした。そのころは正直、不安しかなかった。兄貴(鳥羽一郎)が“これからどうするんだ”と、とても心配して色々と助けてくれました。おかげで、今回こうして日本クラウンさんにお世話になることになりました。

山川さんにとって再出発となるその記念すべき作品は、北島三郎さん(名義は原譲二)による書き下ろしの一曲です。

山川 まさか、北島さんに作詞作曲をしてもらえるなんて、思わなかったです。ディレクターやスタッフ、兄貴と相談したときに、”やっぱり移籍第一弾だから、ぜひ北島さんに書いてもらおう”ということになって、快く書いてくださいました。ありがたいことです。

北島さんとは、これまでも交流はあったのですか?

山川 テレビ局などでお会いしたら、ごあいさつをするくらいでした。でも、個人的な話になりますが、北島さんはボクシングが大好きで。僕は五反田にあるワタナベボクシングジムに所属しているんですが、内山高志選手の試合をいつも12月31日に北島さんと観に行きます。北島さんは試合が始まるだいぶ前にいらっしゃるんですよ。“先輩、まだ早いから別室で待機していてください”と言っても、“いやいや、何を言っているんだよ。俺は好きで観ているんだ”と、ずっと試合を観ているんです。そのときは、北島さんと二人だけでボクシングの話やたわいもない話ができるので、うれしいですね。今回は、その北島さんと歌の話ができました。42年歌手をやっていてこれまでなかったことだから、本当に貴重な時間でした。

初めてこの曲を聴かれたときはどのように感じられましたか?

山川 北島さんが、”おまえは鳥羽と違ってなあ、ちょっと都会的だ”と(笑)。僕の楽曲をいろいろ聴いてくれていたんです。”おまえにはブルース調の歌がいいんじゃないか”とおっしゃっていたので、僕のイメージを生かした歌ができてくるのかなと思っていました。でも、「人生苦労坂」ができあがってみたら今までにないタイプの作品で、初めて聴いたときはとまどいもありました。だけど、すごく新鮮に感じた。オケを録る日に、北島さんがいろいろ話をしてくれてね。“おまえも64歳まで人生を歩んできたろ。いろんな人がそれぞれ、いろんな人生を歩んできているんだ。それを代弁する歌を作ったから、歌ってあげなさい”と。とまどいよりも、“歌ってやろう!”という楽しみの方が大きくなりましたね。

 

ものまねは身を助ける⁈

実際に歌われてみて、いかがでしたか?

山川 歌ってみて”大変だな”と思う部分もたくさんありましたが、要所要所で北島さんがアドバイスしてくれてね。とにかく一番言われたのは、“言葉をはっきり大事に”。最後のフレーズ“人生なのさ”なんかは、普通だったら“じんせー なのさ”と歌う。そうじゃなく、“じんせ・い・なのさ”と歌えと、そこはすごく強調されていました。そこがなかなかできなかったんですよ。これを歌うときは常に3千人とか4千人の前で歌うようなつもりで、3階席まで届くように歌わないとダメだとも教わりました。これを言ったら、北島さんに怒られるかもしれないけど…。僕はクラウンに入る前に、北島さんのものまねをけっこうやっていたので、それが生かされてるかなと思って…います(笑)。

ものまねのおかげで、北島節が身についたということでしょうか(笑)。

山川 でしょうね(笑)。レコーディングも順調に終わりました。僕はどちらかと言ったら中低音ですが、北島さんはそれを一番最初のフレーズに使ってくれました。もし兄貴の曲だったら、高い音の出だしになる。僕の声を生かしたメロディーにしてくれたんだなと思っています。アレンジもいいんですよ! 当初はエレキギターが入っていなかったんですが、北島さんが僕のイメージのイントロをエレキで作りたいと、アレンジャーさんにお願いしてくださって。すごくインパクトある、山川らしい曲に仕上がりました。

北島さんのこだわり、山川さんへの思いが詰まった曲ですね。反響はいかがでしょうか?

山川 いい意味で、”え、山川豊の歌なの?”と驚かれています。今はまだ作品がいいと言われている状況で、それに僕がついていけていない。「アメリカ橋」もそうでした。誰が歌っているかわからないけれどいい曲だね、と曲の素晴らしさが先行していきました。ファンの皆さんからも”これはヒット間違いなし!みんなが歌うでしょう”と好評です。歌っていただけるというのが、一番ありがたい。ここはこうしなくちゃ、こう歌わなくちゃいけないなどと思わず、鼻歌みたいに歌ってくれるのが一番いいんです。あのテレビ番組で歌っていただいて、たとえ鐘が鳴らなくてもいいんです。歌を聴いて、覚えて、歌っていただいて…というのが、演歌の広がり方。それがないと、本当のヒットにならないですからね。

 

兄弟の固い絆。「いつまでも感謝を忘れない」

カップリング曲の「ふるさとは港町」は、山川さんご自身の作曲です。素敵な曲ですね。

山川 これは、じつは20年以上前に僕が書いた曲に、かず翼先生が歌詞をつけてくれました。僕はけっこう曲を書いていて、ストックもたくさんあるんだよね。それにしても、かず先生はすごかったですよ。僕がうちの田舎のことを話したら、そのイメージ通りの歌詞を書いてくださった! 小さな漁師町で、兄貴と二人で桟橋に行ったり、友だちやおふくろもいてね。まさしく僕の「ふるさとは港町」なんですよ。兄も僕も、故郷をすごく大事にしている。そこが僕らの原点ですから。アレンジは斉藤功先生ですが、斉藤先生のギターとサブギターと、ハーモニカ、バイオリンの4人だけで演奏しています。哀愁が漂ういい感じ。演奏する人数が多ければいいというものでもなくて、歌によっては、こういうアレンジもいいんじゃないかと思います。

実兄の鳥羽一郎(中央)と鳥羽の次男・木村徹二(左)と

都会の匂いのする山川さんとお兄様の鳥羽さんはタイプが違いますが…、本当にお二人は仲が良いそうですね。

山川 そう言われるんだけど、僕は最近、だんだん兄に似て来ましたよ。今回のMVを観て、自分でもドキッとしたくらい(笑)。とくにこういう演歌を歌うと余計にね。皆さんご存知の通りの寡黙な兄貴で、うちは序列ができていて、長男が一番偉いから逆らったこともないし、僕は兄貴とケンカした記憶もないですね。兄貴が船に乗ってくれたから、僕ら弟妹は高校に行くことができました。テレビでも何度も言っているんですけど、兄に対する“感謝”はずっと忘れない。それは本当に大事なことですよ。兄のところの息子たち、竜も徹も(※)、うちの娘も息子も小さいころからそれを見ている。我々が何も言わなくても、見て感じてわかっている。自分自身が恩義や感謝を大事にしていないと、口先だけで教えようとしても伝わらないことだと思う。これからも兄弟仲良く、日本クラウンの仲間としても皆さんにいい歌を届けていきたいと思います。
(※鳥羽の息子の長男・木村竜蔵、次男・木村徹二。山川からすると甥にあたる)

 

🌈アフタートーク🌈

愛知県豊川市の市制施行80周年PRアンバサダーに『豊川豊』として就任されましたね。
記者会見もMVもおもしろかったです!

「豊川豊です! 豊川市が出荷量日本一を誇るバラの花をイメージしたかつらや金色のジャケットが特徴です」

山川 豊川市から依頼が来たとき、42年間歌ってきて、このへんで自分自身をちょっと変えてみたかった、というのもあります。それが吉と出るのか凶と出るのかわからないけれど、何でもやらないとだめな時代になってきたと感じていたんですよね。
中京テレビさんがあの格好(笑)を用意していたのに、僕にあのかつらを被ってもらえますかと切り出せなかったんですよね。そこで僕の方から、“まともにやってもおもしろくないと思っています”と言ったら、“え、そうですか?じつは用意していました!”と出してきて(笑)。“お、いいじゃない”と即決でした。
じつは、“山川豊、改名”と報道されたところもあったので、“名前が変わるんですか?”と電話の問い合せがたくさんきて、大変でしたよ。でも、新しいことにチャレンジして皆さんが喜んでくださればいいなと思っています。これからも『豊川豊』の活躍を見ていてください!

▼愛知県豊川市をPRする記念ソング「豊川、豊か」

 

【PROFILE】山川豊(やまかわゆたか) 1958年10月15日、三重県鳥羽市出身。父は漁師、母は海女という漁業一家に生まれる。1981年「函館本線」でデビュー。同年、『第23回 輝く!日本レコード大賞』新人賞の他、各新人賞を受賞した。1986年「ときめきワルツ」で『第37回 NHK紅白歌合戦』初出場を果たす。1998年、「アメリカ橋」が大ヒット。その後「ニューヨーク物語り」「霧のシアトル」と“アメリカ3部作”として話題となる。古賀政男記念音楽大賞、日本歌謡大賞放送音楽賞、日本作詩大賞など受賞歴多数。趣味はギター、ボクシング(C級ライセンス所持)、ダンス。演歌歌手の鳥羽一郎は実兄、木村徹二は甥。2021年にデビュー40周年を迎えた。2023年、愛知県豊川市の市制施行80周年PRアンバサダー『豊川豊』を拝命。

 

 

NEW RELEASE!!

2023年7月5日発売
山川豊「人生苦労坂」

「人生苦労坂」
作詞・作曲:原譲二 編曲:遠山敦
c/w「ふるさとは港町」
作詞:かず翼 作曲:やまかわ豊 編曲:斉藤功
日本クラウン CRCN-8581 1,400円(税込)

 

CHECK!!

山川豊オフィシャルサイト
山川豊公式Twitter
山川豊Instagram
山川豊公式YouTubeチャンネル

 

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